現代にも名前が知られている「陰陽師(おんみょうじ)」。今までに一度は陰陽師という言葉を聞いたことのある人も多いはず。
しかし、実際に陰陽師がどんなことをしているか、どんな人物がいるか、陰陽師について詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。
今回は謎に包まれている陰陽師とは何者なのか?どんな仕事をしているのか?陰陽師の中で最も名前が知られている「安倍晴明(あべのせいめい)」を軸に陰陽師が使う呪物や術、陰陽師の正体について解説していきます。
陰陽師とは何者?
陰陽師の仕事は多く多忙
はじめに陰陽師とは何者なのか解説していきます。
陰陽師とは、日本古来律令制の下で中務省(なかつかさしょう)の陰陽寮(おんみょうりょう)に属した官職の一つ。陰陽五行思想に基づいた陰陽道を駆使し、神意を占い人間が口に出して予言する占いの一種、占筮(せんぜい)及び地相などを担当する方技として配置された者のことです。
中・近世になると民間で祈祷、占術、厄祓いや怨霊退治などを行なっていたとされており、神官の一種との認識。陰陽師の正体を現代で言い換えるとするならば、学術と占いを両立しさまざまな現象を検証・解決する立場だったと言えます。
そんな陰陽師が現代において有名になっているのは、歴代陰陽師の中でも群を抜いて天才と言われた「安倍晴明」がいるためです。
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陰陽師の思想
陰陽師の思想の根底、陰陽五行思想
陰陽師の思想の根底にある「陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)」というのは元来中国のもの。全ての事象は陰と陽に分けられるという陰陽説、そして全てのものは「木・火・土・金・水」の5つの元素から成り立つと考えられている五行思想の組み合わせによるものだと言われています。
陰陽の思想と五行の思想が融合した陰陽五行思想は、木・火・土・金・水の五行にそれぞれ陰陽を二つずつ配し、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)と呼ばれるものに。
陰陽は、陽であれば「え」。陰であれば「と」と語尾につけます。
陰陽五行思想からきた干支
語源としての「え」は「兄」を指し、「と」は「弟」を指します。実は「干支」の呼称は陰陽五行思想からきているのです。その思想から立脚した考えが陰陽道に。
そして、陰陽師の思想である陰陽道というのは日本独自の思想。本来は古来中国で信仰されていた陰陽五行思想に、当時日本で最先端の学問とされた仏教や道教、神道、修験道の要素を混合しています。また天文学や暦学、易学(えきがく)、時計等と密接な関係を持つものになります。
平安時代を代表する天才陰陽師・安倍晴明は、この陰陽道により祈祷し雨を降らしては飢餓を救い、病を癒やしていたと言われています。
陰陽師の歴史
陰陽師の服が現在の宮司に引き継がれている
陰陽師の始まりをご存知でしょうか。陰陽師の始まりはなんと飛鳥時代からと言われています。陰陽師の根底となる思想の陰陽五行思想が中国大陸から朝鮮半島西域を経由しやってきました。
最初に辿り着いた陰陽五行思想が日本に及ぼした影響力は少なかったと言われています。しかし、602年に百済(くだら)から来日した觀勒(かんろく)が天文学、暦本、陰陽五行思想を聖徳太子を含む官僚に教えたところ、日本に大きな影響を及ぼすことに。
初めて日本において暦が官暦として採用され、仏法や陰陽五行思想・暦法などを更に吸収するため、607年に遣隋使の派遣が始められます。
他には聖徳太子による十七条憲法や冠位十二階の制定など多くの事柄に、陰陽五行思想の影響が色濃く現れることになりました。
陰陽師という言葉が使われ始めたのは685年頃。そこから30年ほど経った718年、ついに養老律令(ようろうりつりょう)により中務省の内局である小寮として、陰陽寮が設置されました。
奈良・平安時代は貴族同士の争いも多く、たくさんの魂が怨霊となったことで、疫病や災害を引き起こすと考えられていた時代。そのため占いや祈祷に頼ることも多く、この時代こそが陰陽師を有名にさせた一因とも言えます。
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陰陽師の定義
陰陽師は天文学にも通じている
中国から渡ってきた陰陽五行思想を根底に、独自の職業として発展した歴史を持つ陰陽道。陰陽師は天文学や神道、仏教に方位学、占術などさまざまな分野に特化した専門家と言えます。
現代に伝わる天才陰陽師の安倍晴明を思い浮かべると、怨霊を沈めたり厄祓いをしたりといったことが想像されやすいですが、本来それは「呪禁師(じゅごんし)」の役割。
陰陽寮に配置されていた方技のうち、占筮・地相の専門職であった陰陽師を「狭義の陰陽師」。専門職に限らず天文博士・陰陽博士・陰陽師・暦博士・漏刻博士を含めた全ての方技を「広義の陰陽師」と定義付けることができます。
また陰陽師は、宮廷の総務を担当した中務省の中における、陰陽寮での役職のこと。官職であり、律令制が厳しい時代では認められた陰陽師以外の者が、陰陽道を学ぶことを厳しく禁止されていました。
陰陽師は現代で例えるなら国家公務員のような仕事で、陰陽寮に入れるのはなんと6人だけ。かなり狭き門だったため阿倍晴明も陰陽師として頭角を表したのは57歳になってからでした。
天才陰陽師【安倍晴明】
現代でもゲームやアニメ、映画、舞台、歌舞伎など幅広く取り上げられている陰陽師。なぜそれほどまでに陰陽師が取り上げられるのか。その理由は陰陽師の中で最も有名な安倍晴明にあると言っても過言ではありません。
安倍晴明は何がそんなに天才であったのか、安倍晴明の生涯はどんなものだったのか、安倍晴明の秘密を解き明かします。
天才陰陽師、安倍晴明
安倍晴明は学問に長けていた
陰陽師とはそもそも、その豊富な学問の知恵と呪術面を融合させた職業。飛鳥・奈良時代では風水を占うこと、祈祷や神意を告げることなどを主な仕事としていました。
陰陽師の存在は徐々に有名になり、最終的に陰陽師は平安時代に最盛期を迎えます。その平安時代の陰陽師筆頭が安倍晴明でした。
陰陽道に関する知識が卓越していると評判になった安倍晴明。多くの貴族から信頼を得ていました。安倍晴明はさまざまな実績や逸話を残し、伝説の陰陽師と現代に伝承。
しかし、安倍晴明を育て上げ、陰陽道を切り開いた人物がいるのです。その名も「賀茂忠行(かものただゆき)」。
元々陰陽寮は天文道・暦道・陰陽道の三部門に分類。それぞれに専門家がいる分業の仕組みでしたが、暦家である賀茂忠行はその職掌を越え、この三つをもすべてを掌握し、陰陽家・賀茂氏を確立したこと。これこそが陰陽道の歴史を作る第一歩です。
安倍晴明はそんな賀茂忠行の弟子。安倍晴明は幼少期から賀茂忠行のお供をしていました。賀茂忠行の夜行にお供をしている時のこと、夜道に鬼がいることに気付き、賀茂忠行に知らせに行きます。
大人になって経験を積んでもどうしても鬼など見られない人がいるにも関わらず、幼少期から鬼の姿が見えた安倍晴明に才能を感じた賀茂忠行。安倍晴明に陰陽道の全てを教え込みます。これこそが安倍晴明が天才と呼ばれる秘密です。
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安倍晴明の伝説
説陰陽師は祈祷や占術がメインの仕事
陰陽師とは本来、祈祷や風水といったことを占うことがメインの仕事ですが、安倍晴明は陰陽師の仕事を超え、呪禁師の領域でも活躍。厄祓い、式神を使用など多くのことを成し遂げました。安倍晴明は陰陽師である間に、多くの不思議な逸話を残しています。
御堂関白の御犬晴明等奇特の事
藤原道長が飼っていた犬が、ある時主人である藤原道長の外出を必死に止めようとしました。その様子を不思議に思った藤原道長が安倍晴明に相談。
安倍晴明が占うと、第三者の陰陽師が使役する鬼神力、つまり呪いの「式神」によって呪われそうになったところを犬が察知して騒いでいたと告げます。
その後、安倍晴明は自らの式神によって呪いをかけようとしていた陰陽師を捕縛。他者の呪術を跳ね除け、自ら逆に捕縛するという安倍晴明の強さがうかがえます。
安倍晴明の母が妖狐だった?
安倍晴明の母は妖狐?
これは諸説ありますが、そもそも安倍晴明に大きな才能があったと言われるのは、安倍晴明の母が信太の森に住む「葛の葉(くずのは)」と呼ばれる妖狐であるため。
妖狐は人間に化けたりする霊力があると言われています。ある時人間に追われて逃げていたところ、安倍晴明の父に保護されることに。そのまま結婚し、生まれた子どもが安倍晴明だという伝説です。
半分妖狐の血が流れている安倍晴明は、他の者より霊力が強く幼い頃から鬼も見ることができたと言われています。
大江山の酒呑童子討伐
酒呑童子が潜んでいたと言われる大江山
日本の妖怪の「酒呑童子」。妖怪の中で悪名高く知名度がある鬼です。大江山に住む酒呑童子は、京の都で娘を誘拐。夜な夜な街に降りては財宝略奪や殺害などの悪虐を繰り返していました。
しかし当時の朝廷はその問題に頭を痛めるものの、誰の仕業か一向にわかりません。
そこで登場したのが安倍晴明。「犯人は大江山に住む酒呑童子だ。」と一番初めに見破ります。安倍晴明のおかげで酒呑童子は無事討伐されることになりました。
安倍晴明の最期
晴明神社に作られた安倍晴明
現代において、実は安倍晴明がどこで亡くなったか情報が定かではありません。そのため安倍晴明の墓だと言われてる場所が、京都の嵐山や愛知県の岡崎市など複数存在することに。
どこで亡くなったかは分かりませんが安倍晴明は生誕921年、死没が1005年。なんと84歳まで生きたのです。安倍晴明が生きていた平安時代は40歳が長寿と言われる時代。その尋常ではない生命力は言うまでもありません。
安倍晴明の母が妖狐という逸話もあるため、妖狐は1000年生きる妖だから安倍晴明も長生きだったのではないか?という言い伝えもありますが、特定できる資料は現代には見つからず。
しかし、安倍晴明の母が妖狐であるにしろ、これだけの逸話を残している陰陽・安倍晴明は平安時代において異様な存在でした。
安倍晴明のライバル【蘆屋道満】
安倍晴明と蘆屋道満はライバル関係
安倍晴明は陰陽師の中でも天才で、多くの逸話を持っています。そんな安倍晴明にもライバルと呼ばれる存在がいました。それが「蘆屋道満(あしやどうまん)」またの名を、道摩法師(どうまほうし)。
諸説により、蘆屋道満と道摩法師は別人だと文献により書かれていることもあります。
蘆屋道満と安倍晴明の関係
蘆屋道満と安倍晴明はライバルと言うものの実力差が大きく書かれている文献が多く、ライバルと言うより切っても切れない縁というものがあるような関係の方が近いかもしれません。
そんな蘆屋道満と安倍晴明に関係するエピソードをいくつか紹介します。
安倍晴明と師弟関係
安倍晴明と蘆屋道満は師弟関係でもある
「正義の晴明」と呼ばれていた安倍晴明に対し、蘆屋道満は「悪の道満」と呼ばれていました。ある時、蘆屋道満は安倍晴明と呪術勝負を持ちかけ、負けた方が弟子になるという約束を帝の御前ですることに。
その賭け事は帝が両者には知らせず、袋にみかんを15個入れて中身を当てるというもの。蘆屋道満は「みかんが15個」と言い当てましたが、安倍晴明は「鼠が15匹」と答えます。
帝は安倍晴明が答えを外したことに落胆しながら袋を開けると、なんと中から鼠が出てきて安倍晴明の勝利。そして蘆屋道満が安倍晴明の弟子になるという不思議な関係になりました。
御堂関白の御犬晴明等奇特の事
安倍晴明の逸話と知られているこの事件、実は蘆屋道満が大きく関わっているのです。
藤原道長に呪いがかけられそうになっているところを安倍晴明が救った事件。安倍晴明が見抜いたその後、悪事を働こうとした陰陽師を逆に捕まえますが、実はこの悪事を働いた陰陽師は、蘆屋道満だったのです!
この悪事がばれ、捕まった蘆屋道満は生国播磨に流罪。
峯相記
叔父である藤原道長と政争していた「藤原伊周(ふじわらのこれちか)」。彼は蘆屋道満に藤原道長を呪うように依頼します。依頼を受けた蘆屋道満は道に呪物を埋める呪詛を行うものの、安倍晴明が見事に看破。
またしても安倍晴明に捕まり、蘆屋道満は播磨国に流罪になりました。
安倍晴明殺害?
蘆屋道満が安倍晴明の書物を盗み見た?
遣唐使として派遣され、唐の「伯道上人(はくどうしょうにん)」のもとで修行をすることになった安倍晴明。蘆屋道満はなんと安倍晴明が不在中なのを利用し、安倍晴明の妻と不倫関係になります。
伯道上人から安倍晴明が授かった書を盗み見て術を身につけた蘆屋道満は、安倍晴明に勝負を挑むことに。呪術で安倍晴明との命を賭けた対決に勝利し、安倍晴明をついに殺害します。
しかし第六感で安倍晴明の死を悟った伯道上人は急遽来日。「生活続命(しょうかつぞくみょう)の法」という呪術で安倍晴明を蘇生させます。伯道上人はその後、蘆屋道満と安倍晴明の妻を斬首。
そして安倍晴明は復帰後、伯道上人から授かった書をさらに発展させました。
なかなかアウトローなことばかりをする蘆屋道満。結局は毎回負けてしまいますが、安倍晴明を唯一殺した男です。安倍晴明のライバルとして伝えられるのも理解できます。
陰陽師の式神について
陰陽師が使っていたと言われる式札
現代に伝わる陰陽師と言えば、代表的な陰陽師である安倍晴明、式神、術式による怨霊退治などが出てくるかもしれません。実際に陰陽師を元にした舞台や映画では、術を使い鬼を退治なんて場面も出てきます。
陰陽師は本来は風水や占術、神意などがメインですが、実際に術を使っていたと言われる安倍晴明がどんな式神や術を使っていたのか。ここで紹介していきます。
式神
陰陽師の従える鬼神
式神は主に陰陽師が使う術法であり、陰陽師が「鬼神(きじん)」を使役する際に使うものになります。鬼神は荒ぶる神や妖怪変化、心霊のことを指します。また、鬼神は人心から起こる悪行や善行を見定める役を務めるものとも。
文献により異なりますが、「式鬼(しき)」や「識神(しきじん)」と呼ばれます。呼び出せる鬼神は陰陽師の力が大きく関係していると言われ、基本的に式神の存在は一般人には認知できませんが、一般人にも見えるように擬態している存在もいるとのこと。
そんな式神ですが、実は容姿と術式過程により分類分けされているのです。
思業式神
陰陽師の思念が込められたことにより創られる式神。思業式神は姿形が自由に変えられます。しかし変えられると言っても陰陽師の力が弱ければ強い式神にすることは困難。陰陽師の実力が顕著に現れる式神です。
擬人式神
陰陽師の擬人式神には藁人形など使用される
人形型をした「式札(しきふだ)」と呼ばれる和紙札、草や藁で作られた人形、通称「藁人形」に霊力が込められ創られた式神。ドラマや映画に出演しやすい式神です。人形に意思が込められていると上位式神、意思がないものは下位式神とも言われています。
式札が陰陽師の術法によって使用されると、使役意図に合わせた能力を携える鳥獣や異形など姿を自由自在に変えられると伝わっている模様。
陰陽師の界隈で最も使われる頻度が高い式神になります。
悪行罰示神
過去に悪事を行った霊を倒し、服従させることで使えるようになる式神。強い霊を倒し服従させても、使役する陰陽師の能力が低ければ逆に式神に呑み込まれるという危ない式神でもあります。
安倍晴明はこの悪行罰示神を使役するのが得意だったと言われ、たくさんの強い悪行罰示神を従えて家事をやらせていたと伝説が残るほど。
しかし式神や術は注意しなくてはならない部分もあります。「人を呪わば穴二つ」。人に害を与えれば、自分にもいずれ返ってくるという言葉があるように、式神や術で人を陥れる・呪うことがバレれば自分に返ってきてしまうのです。
安倍晴明はかなりの実力を持つ陰陽師であったため、多くの貴族から相談や依頼がありました。その度に貴族にかけられた呪いや襲いにきた式神を返り討ち。そのため別所で依頼され、術を行っていた陰陽師が倒れることも少なくなかったようです。
安倍晴明の式神
安倍晴明が使役する十二神将
最強の陰陽師であった安倍晴明。多くの有名な式神を従えていたと言われています。その中でも最も強いのが十二神将と呼ばれる12の霊。
十二神将は、陰陽道の一つであり陰陽師には必要不可欠な「六壬神課」という占術で使用する十二支の現れのこと。十二神将には方位や呼称が定まっています。
騰蛇(とうだ)巳・朱雀(すざく)午・六合(りくごう)卯・勾陳(こうちん)辰・青龍(せいりゅう)寅・貴人(きじん)丑・天后(てんこう)亥・大陰(だいおん)酉・玄武(げんぶ)子・大裳(たいも)未・白虎(びゃっこ)申・天空(てんくう)戌となっています。
特に東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武は、中国の神話で天の四方を司る霊獣「四神」としても有名。名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
この十二神将を、安倍晴明は呪術を行う際に使役していました。悪行罰示神に分類される十二神将はそれぞれ6人ずつ吉将と凶将に別れており、人の善悪を見破る才もあったとも。
また十二神将は北極星を中心とした星座などが起源。陰陽師になる前から天文学で才覚を表していた安倍晴明と十二神将は相性も良く、最強のコンビだったのかもしれません。
有名な式神
安倍晴明が使役していた十二神将もかなりの知名度ですが、他にも陰陽師の界隈の中で有名だった式神たちを紹介します。
前鬼・後鬼
「前鬼(ぜんき)」と「後鬼(ごき)」。この式神はなんと夫婦なのです。前鬼が赤く斧を持つ夫鬼であり、後鬼が青く理水が入った水瓶を持つ妻鬼。
もともとこの鬼たちは、人間の子供を拐うなど人々に災害をもたらしていました。しかし、修験道の開祖と言われている僧侶の「役小角(えんのおづの)」がこの鬼たちに出会い、会心させ使役したと伝えられています。
役小角はなんと前鬼・後鬼の子供を隠し、子供を拐われた人の心の痛みを分からせるという少々手荒な方法で会心。会心してから前鬼・後鬼は役小角が亡くなるまで共にいたと言われています。
犬神
「犬神」と聞くと、現代でもアニメや舞台では凛々しく強い式神として扱われることも多いので、そういった印象を持つことも少なくありません。
犬神というのは、犬の霊が取り憑いた式神のこと。この犬の霊を生み出すにあたってなかなか残酷な成り立ちがあるのです。
主な方法としてまずは犬を飢餓状態にすること。飢餓状態になった犬の首を切り、その頭を辻道に埋め人々が頭上を住来することで、怨念が溜まった霊ができ、呪物として使うという仕組みになります。
また、犬の頭部のみ出して生き埋めにし、その前に食物を見せて置く。餓死する寸前に頭を切ると、頭部は飛んで食物に食いつくと言われています。その頭部を焼いて骨にし、器に入れて祀る。すると永久にその人に憑き、願望を成就させるとも言われます。
しかし、犬神はこの成り立ちのため攻撃性が高め。そのため、取り憑いた人の家族を噛み殺す、祟り殺すこともあるようです。また、取り憑かれた人は大食いになったり、凶暴になったりするなど怨念の犬の片鱗が見られます。
蠱術
蠱毒により神霊化させる
「蠱術(こじゅつ)」、別名「蠱毒(こどく)」。これは同じ壺のような器の中で、蛇やムカデ、蛙など多くの生き物を入れ、共食いをさせるのです。
最後に生き残った生き物の霊は神霊となるので祀ります。そしてその生き物の毒を呪物として使用。毒を食物に入れ、人に害を与えたり、思い通りに福を得たりします。
毒が当たると症状は様々ですが、一定期間のうちに死ぬと現代に伝わります。しかしあまりにも凶悪な呪いのため、平安時代では禁止令が出るほど。
中国では蠱毒の毒を使い殺害した・殺害を試みたものは、なんと死刑になるといった処置があるほど、呪物としての力は強力で恐ろしいものとされています。
陰陽師の術式について
陰陽師の印である九字と五芒星
さまざまな式神を使う陰陽師。しかし、実際にはどのような用途で式神を使っていたのでしょうか。ここからは陰陽師の正しい式神、さらには陰陽師がどのような術式を使うのか掘り下げていきます。
呪物と憑依
陰陽師は、式神を特定の相手に憑依させ呪い殺すことができてしまいます。平安時代は貴族同士の争いも多く、実際に呪い殺して欲しいという依頼が多くあったとも。
しかしまず相手に憑依させるためには、まずは相手を誘き出すことが条件になります。安倍晴明が活躍した平安時代では、陰陽師たちは呪いをかけた呪物を地面に埋め込むことで相手を誘い込むことが可能に。
問題点は、呪いをかけた陰陽師よりさらに強い陰陽師が敵にいた場合、呪いが跳ね返ってしまうことです。誰かを呪い殺そうとした呪いが跳ね返るので、自分が死んでしまうことに。
呪いや式神といった人並外れた力を持つ陰陽師。彼らも代償なしで使役することや呪うことは出来ません。
守護神
陰陽師は呪い殺す、といったこともできますが、使う陰陽師によって用途はガラリと変わります。なんと人や街を守ることにも使えるのです。
守護神として使われるのは主に擬人式神。式札や藁人形を用途に合わせた姿に変化させ、家などにおいています。安倍晴明は街を守るための門番として、式神を守護霊においていたと言われています。
現代でも家に札を貼る、お祓いをしてもらうのは、この守護霊と同じ要領になります。
陰陽師の家事手伝い
式神は陰陽師の家事手伝いも仕事
式神の出番は戦いや呪い、偵察などだけではありません。なんと陰陽師の家事の手伝や、おつかいをすることも。安倍晴明は特に強い陰陽師であったため、使役できる式神が多くいました。
安倍晴明のような優秀な陰陽師は、常に仕事が入ったり、街の護衛があったりと大忙し。そのため式神たちに家事をやらせていたと伝わっています。
もちろん最初から家事ができるわけではないので、きちんと教育されてから式神は家事を行います。想像するとなかなか微笑ましい光景ですが、安倍晴明の妻が式神を怖がったため、安倍晴明は別に小屋を作り、そこでひっそり式神を住まわせていたようです。
陰陽師の護身術の九字
陰陽師の護身術式の九字
「臨兵鬥者皆陣列前行」。この文字列を見たことある人もいるのではないでしょうか。これは「九字(くじ)」と呼ばれる道家により呪力を持つとされた9つの漢字のこと。
読み方は「りん・ぴょう(びょう)・とう・しゃ(じゃ)・かい・じん・れつ・ざい・ぜん」。除災戦勝などを願う作法です。また十字と呼ばれるものもあり、一文字加えることで効果を一点特化させるという技法も。追加の文字は発揮させたい効果によって変わってきます。
九字のやり方は、この文句を唱えながら手で印を結ぶか、指を剣になぞらえて空中に線を描くこと。また、九字は別名ドーマンと言われており、これは蘆屋道満からきています。
五芒星
安倍晴明の家紋、五芒星
「五芒星(ごぼうせい)」。別名セーマンと呼ばれ、西洋・東洋問わず古来パワーに溢れる印として知られています。5つの頂点を持つこの印は、陰陽道において五行を表しており、それぞれを線で結んで「相克」の意に。
五芒星を書くこと、書いた印を持ち歩くなどしていると、災厄から身を守り心身を清め続けると言われています。セーマンは安倍晴明が祈祷呪符として作成・使用したと言われており、晴明桔梗(せいめいききょう)・晴明九字という呼称もあるほど。
安倍晴明の家紋でもあります。
陰陽師はヒーロー
今回は陰陽師について、仕事や式神、術式など解説してきました。平安時代の頃は、災害や厄災など解決できないものは怨霊や呪いのせいだと考えられ、恐れの対象に。
だからこそ、術式や式神などが使える陰陽師は市民の希望であり、ヒーローのような存在でした。安倍晴明に関する逸話や安倍晴明のライバル蘆屋道満の話など、見ていて飽きません。
ここで陰陽師について知識を蓄えれば、現代で語り継がれている舞台や映画、浄瑠璃、ゲームなどさらに楽しめること間違いなし。
陰陽師の秘密に足を踏み込んでみてはいかがでしょうか。