日本最古のおもちゃは「独楽(こま)」?
「お手玉」で聖徳太子も遊んだ!?
フランス王も遊んでいた「けん玉」
「羽子板」はもともと魔除けだった!
男の子の代表的な遊び「めんこ」
「かるた」はポルトガルから伝わったもの?
お正月の定番遊び「福笑い」
「折り紙」は日本の文化がきっかけで生まれた?
昔の遊びやおもちゃで童心に帰ろう!

お手玉やおはじきなど、日本の伝統文化として昔から愛され続けている「おもちゃ」。あなたも小さい頃はおもちゃでたくさん遊んでいたことでしょう。

成長するにつれて遊ばなくなったものの、やはり大人になった今でも思い出すと、昔から慣れ親しんだおもちゃはどこかとても懐かしくて童心に帰ってしまいます。

そんな昔の遊びで使っていたおもちゃはたくさんありますが、どれほど前から遊ばれていたのか、もともとどこの国から伝わったのかなどおもちゃの歴史はなかなか知らないはず。

今回は昔の遊びとおもちゃの歴史について紹介します。

日本最古のおもちゃは「独楽(こま)」?

昔の遊びで使われていた独楽のおもちゃ

昔の遊びで使われていた独楽のおもちゃ

独楽は円錐形をしている独楽の胴にキツく紐を巻き付け、それをほどくことで生じる力を利用して回転させる遊び。小さい独楽は紐を巻き付けず指で回して遊ぶのが一般的です。

独楽は紐の巻き方一つで回せるかどうかが決まる繊細なおもちゃと言われ、回すこともかなり難易度が高いもの。しかし根気強く練習し続け回せるようになった時の達成感は、子どもだけでなく大人もとても嬉しいものです。

独楽にはただ回転させてそれを眺めているものと、独楽同士をぶつけてどちらが止まるか対戦するという2つの遊び方があります。

独楽は6世紀頃から?

日本最古のおもちゃは独楽だと言われていますが、6世紀頃のものとされる「ぶちゴマ」が独楽の由来。ぶちゴマとはムチのようなもので独楽を叩いて回す昔の遊びです。

円錐形の木製独楽も奈良県の藤原宮跡や平城京跡などから発掘されていて、それぞれ7~10世紀頃に遊ばれていたものだと推測されています。

独楽には指でひねって回す「ひねり独楽」や、紐を胴に巻き付けて回す「投げ独楽」、「糸巻き独楽」など遊び方はさまざま。シンプルで面白いということで日本だけではなく世界からも人気があります。

「お手玉」で聖徳太子も遊んだ!?

昔の遊びで使われていたお手玉のおもちゃ

昔の遊びで使われていたお手玉のおもちゃ

お手玉は小豆などの小さい豆が入ったいくつかの袋(お手玉)を投げ上げしたり、受け取り拾う、を繰り返す昔の遊びです。

お手玉は遊ぶことだけでなく裁縫や正座などの行儀作法も一緒に学べるため、昔から女の子にとても好まれました。

日本でお手玉は「隔世伝承(かくせいでんしょう)遊び」の代表例。隔世伝承遊びとはただ単に遊ぶのではなく、遊びを通して礼儀や作法を祖母から孫娘へ代々受け継ぐことを意味します。

お手玉はもともと骨を使っていた?

紀元前5世紀頃、現在のトルコに位置する場所に存在していたリディア人によってお手玉が発明されたと言われています。なんと当時は羊のかかとの骨を使ってお手玉をしていたのだそう。

お手玉には色々な説がありますが、日本には今から約1300年前の奈良時代に中国から伝わってきたとされています。飛鳥時代の政治家である聖徳太子もお手玉で遊んでいたのだとか。

昔ながらの作り方

お手玉は4枚の布を縫い合わせて作られるのが一般的で、中には小豆や大豆、数珠玉(じゅずだま)を入れます。これらの小さい豆を入れることによって、豆同士が当たる心地良い音が鳴ります。

フランス王も遊んでいた「けん玉」

昔の遊びで使われていたけん玉のおもちゃ

昔の遊びで使われていたけん玉のおもちゃ

けん玉は3つの皿と1つの剣先、その本体に繋がった玉1セットとしたおもちゃ。バランスよく皿の上に乗せたり、球を剣先に入れたりして遊ぶ昔の遊びです。

球を置く部分や技が成功した回数などで勝敗を競います。現在では「日本けん玉協会」が全国大会を開催し、昔の遊びという枠を超えスポーツとして楽しむ人も多いのだとか。

けん玉の活用方法はリハビリ専用のけん玉が開発されていたり、高齢者の痴呆症防止のためにも役立っていたりと様々です。

世界中で愛されるけん玉

日本で昔の遊びとして知られているけん玉ですが、実は世界中で古くから親しまれているのを知っていますか?けん玉は英語でCup and Ball(カップアンドボール)、フランス語でBilleboquet(ビル・ボケ)、ドイツ語でKugelfang(クーゲルファング)と言われています。

けん玉という言葉が載っている最も古い記録には、16世紀のフランス国王アンリ3世が遊んでいたという記述があるのだそう。けん玉の起源は多くの説があり、今もなお確認されていないようです。

明治時代にけん玉と呼ばれていたものは、真っ直ぐな棒に一つの球が組み合わさっただけのもの。現在のような形になったのは実は大正時代に入ってからです。

当時は「日月ボール」と呼ばれ、大正7年に広島県呉(くれ)市の江草濱次(えぐさはまじ)氏が考案・出願したもの。当時から変わらぬ人気を誇るけん玉は、老若男女問わず親しまれています。

「羽子板」はもともと魔除けだった!

昔の遊びで使われていた羽子板のおもちゃ

昔の遊びで使われていた羽子板のおもちゃ

羽子板は、羽子板と呼ばれるラケットのようなもので羽をついて、相手とその羽のラリーを続ける遊び。正月の代表的な遊びで、新春の厄払いとして女の子に人気があります。

羽子板には押絵(おしえ)と呼ばれる伝統的な装飾法で飾られているものも存在します。押絵とは綿を布でくるんで、立体的な絵柄を仕上げるもの。

羽子板遊びに使われるだけでなく、商売繁盛の縁起物として店に飾られている事があります。

羽子板はお守り?

羽子板はもともと神社で魔除けや占いの神事に使われていました。この羽子板がお正月の遊びや贈り物として用いられるようになったのは室町時代。

当時羽根つきに使う羽子板は「胡鬼板(こきいた)」、木の実に羽根をつけたものは「胡鬼子(こきのこ)」と呼ばれていました。

この時代の「看聞御記(かんもんぎょき)」という書物には、宮中で「こぎの子勝負」という羽子板遊びの大会のようなものが催されていたと記されていたのだとか。

胡鬼板や胡鬼子の「胡鬼」は、昔の中国で「トンボ」という意味でした。トンボは害虫や蚊を食べることから、人々を病気から守ってくれるありがたい昆虫とされていたのだそう。

このようなことから、羽子板遊びには無病息災を願う意味合いもあったのではないかと考えられています。

観賞用と実技用の羽子板がある

羽子板には飾って使う観賞用と、実際に遊ぶ実技用の2種類があります。簡素な作りの実技用とは違い、観賞用は役者の似顔絵や日本舞踊を象ったとても華やかな作りです。

男の子の代表的な遊び「めんこ」

昔の遊びで使われていためんこのおもちゃ

昔の遊びで使われていためんこのおもちゃ

長方形や丸型の厚紙でできている「めんこ」。一般的な遊び方は地面に散らばっためんこに自分の持っているめんこを打ち付け、「起こし」という風圧を利用して相手のめんこを裏返す遊びです。

裏返っためんこは自分のものにできるため、好きな絵柄や欲しかっためんこを狙って裏返すというのが楽しみ方。現在では厚紙の質が向上されリニューアルしためんこが、遊びに留まらずスポーツとして人々から楽しまれています。

色々な形に変化してきためんこ

めんこの起源は江戸時代。小さい穴を地面に掘り、貝などを入れて遊ぶ「穴一遊び」というのがあったのですが、それが現代になり「泥めんこ」と呼ばれるようになりました。

明治時代になると「鉛めんこ」と呼ばれるめんこ遊びが誕生。この鉛めんこが現代で一般的である「起こし」という遊び方に変化し、何度も叩きつけられた鉛めんこが変形したことから、不細工な顔を意味する「オカチメンコ」という言葉が生まれました。

しかし、この鉛めんこは大阪の「鉛中毒事件」で姿を消すことに。その後、明治10年代になると「紙めんこ」が誕生し、皆が知っているめんこ遊びが完成しました。

男の子の憧れ

紙めんこができるとその絵柄には武者、相撲力士、野球選手、映画スター、漫画の主人公などが印刷されるようになり、男の子はめんこ遊びに夢中になりました。

憧れである人物が描かれためんこをもらおうと、皆力一杯めんこを地面に叩きつけたそうです。男の子の強者への憧れと時代背景がうかがえますね。

また現在ではめんこの製造量が大幅に減少しているため、当時のめんこや新しいものを集めている大人のコレクターも少なくないのだとか。男性はいつまで経っても少年の心を持っているのかもしれません。

「かるた」はポルトガルから伝わったもの?

昔の遊びで使われていたかるたのおもちゃ

昔の遊びで使われていたかるたのおもちゃ

かるたとは読み札と絵札に分かれた2種類のカードを使って遊ぶもの。一般的に百人一首を用いた「百人一首かるた」と、いろは歌を用いた「いろはかるた」に分けられます。

かるたの歴史

16世紀の半ば頃から日本とポルトガルの交流が始まり、その時に日本人は初めて硬い紙で作られたかるたを知ったのだそう。ポルトガル語で「カード」を意味するかるたは、当時日本でもすぐに人気の遊びとなり複製品が作られました。

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その他伝統・日本文化

お正月の定番遊び「福笑い」

昔の遊びで使われていた福笑いのおもちゃ

昔の遊びで使われていた福笑いのおもちゃ

福笑いは「おたふく」や「おかめ」と呼ばれるお面の顔の輪郭だけが描かれた紙の上に、切り抜かれた目や鼻、口、眉毛を乗せていく遊び。この時乗せる人は目隠しをした状態で、顔のパーツがどこかを予想しながら置いていきます。

目隠しをしているためもちろん顔の位置はバラバラになり、結果的に変な顔になっていたらその面白い顔を見てみんなで笑い楽しむという遊びです。

笑う門には福来る

福笑いの起源やどのような目的で誕生したかなどの詳細は明らかになっていません。

しかしみんなで遊びながら笑い合うということから「笑う門には福来る」のことわざのように、新年の福を祈願したものではないかと推測できます。

どうしておかめやひょっとこが多いの?

福笑いといえばおかめやひょっとこのお面が多いもの。その理由は明確にはなっていませんが、ただ顔が面白いというだけではなく、福をもたらす縁起物だからだと言われています。

おかめは「福を招く神様」、ひょっとこは「火を守る神様」として知られていて、福笑いは家族円満の願いも込められているのだとか。

「おり紙」は日本の文化がきっかけで生まれた?

昔の遊びで使われていた折り紙

昔の遊びで使われていた折り紙

折り紙は一枚の紙を折り、様々な形に変えて楽しむ遊び。動物や植物やコマなど作れるバリエーションはとても多く、老若男女問わず親しまれている遊びの一つです。

折り紙の起源は包装紙?

折り紙は日本独自の遊び。平安時代の頃、紙はとても高級品でした。貴族の間ではその紙を使っていかに贈り物をきれいに包むか、という事が流行しそれが折り紙の起源となりました。

その後武家や公家ごとに礼法の流派も生まれ、折り紙は生活に欠かせないものに。その礼法は婚礼の「のし」などに残り、現代でもいろいろな場面で使われています。

今のような折り紙の形は室町時代に形成されたとされていて、その頃できた折り鶴ややっこさんは、上のお手玉でも紹介した隔世伝承遊びの一つです。折り紙を通じて創造性を豊かにすると考えられていました。

全世界から注目されてる!?

折り紙は1枚の紙を使って作品を完成させるもの。折り紙を折るのに必要とされる細やかな手先の動きは、脳の発達にも大きく影響を与えると言われており、今や折り紙遊びは全世界から注目されています。

またそれらの折り紙作品を世界に発信したことで、日本人の器用さがとても評価されました。

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初心者でも簡単!【折り紙】でアクセサリーや箱を作ってみよう 日本人の文化のひとつ「折り紙」。色鮮やかな千代紙や友禅紙を使い、様々な形に折っていきます。海外でも「ORIGAMI」として親しまれているそう。今回は折り紙の歴史と「折り鶴」や日常生活で使う箱の折り方を紹介します。

伝統工芸

昔の遊びやおもちゃで童心に帰ろう!

今回は昔の遊びやおもちゃの歴史について紹介しました。幼い頃から慣れ親しんだ遊びはたくさんありますが、それらの歴史は海外からきたものであったり、もともとは違う遊び方をしていたことなど知らないことが多くありました。

世界から注目されている折り紙や日本独自の羽子板など、私たちが遊んでいたものを忘れられないためにも後世に伝えていきたいものです。

昔の遊びやおもちゃでもう一度遊びたい、と思った時などぜひ参考にしてみてください!